2025/06/13
はじめに
4月に参加したトークセッション「学校から社会を変える!~主体性と当事者性がカギ~」の第2弾が6月11日に大阪で開催され、私も遠征して参加してきました。話者は、元サッカー日本代表監督で現在はFC今治高校の学園長を務める岡田武史さん、映画『みんなの学校』の舞台となった大阪市立大空小学校初代校長の木村泰子さんです。今回は教育アドバイザーの工藤勇一さんが、体調不良により急遽キャンセルのお知らせがありました。彼がまとめ役を担う予定だったので、出だしこそ少し締りのない印象もありましたが、それでも岡田さんと木村さんの言葉には心を動かされる場面がいくつもありました。
サッカー現場に見る「主体性の芽生え」
岡田さんは冒頭、6月10日に日本代表戦を観戦した際の話から始めました。日本サッカー協会の副会長という立場で試合を見た岡田さんは、選手たちの“主体性”が明らかに育ってきていると感じたと言います。従来の日本は「監督の指示に忠実に従うプレー」が基本でした。しかし今は、選手たちが自ら考え、判断して動く場面が増えてきており、終盤のセットプレーに見えたその変化に「森保やるな〜」と感心したそうです。
“当事者”としての選手たち
さらに、2019年のU17ワールドカップでのブラジル代表のエピソードも印象的でした。圧倒的な強さを持つフランスに前半で2点を奪われた後、選手たちはロッカールームで熱く議論を交わし、自分たちで戦略を立てたそうです。監督はそれに口を挟まず、彼らは後半に見事逆転して勝利しました。彼らは、代表選手として召集されてもそれ以上に必要とされる選手が現れたら、翌週にでも代表から外されることもあるそうです。そのような厳しい競争社会の中で、当事者性を持って「自分の生き残り方を自分で考える」彼らは自然と自己決定力も育まれ、その姿は日本の教育との大きな違いを浮き彫りにしました。
「日本でそんなことがあったら大変。親が来る、学校の先生が来る、下手したらマスコミも来る」と岡田さんは笑っていましたが、そこにあるのは“子どもの主体性や当事者性を信じて任せる”という覚悟の違いなのだと感じました。
高校生が街を変える
FC今治高校では、“街全体が学校”という考え方を取り入れてフィールドワークに出ます。寮完備の高校ですが、3年生になると寮を出て自分たちで空き家を改修したり、地域の人と住んだりして自分たちで生活します。あるとき、「高校生が商店街に住んだら面白いよね」と生徒たちが話し合い、商店街の人たちも巻き込まれ、ついには大手ハウスメーカーがスポンサーに名乗りを上げた、という話もありました。高校生が“街を変える”かもしれない、「感情の共有ができる共助のコミュニティが地域、日本、そして世界を変える」、これを高校生が体現するかもしれないと、少年のようなわくわくした表情で語っていました。
永遠に続く「今」を生きる
「人はみんな違う。その違いを”間違い”と考えると感情的になる」と岡田さんは言います。学びの目的は“その子がその子らしく育つこと”であり、「存在を認める、そしてそれを本人に伝えること」が大切で、「教育に正解はない」からこそ、“その子がその子らしく育つこと”が学びの目的であるという信念が伝わってきました。
岡田さんの最後の言葉が胸に残っています。
「私利私欲なく何かに向かってチャレンジしている人に人はついていく」
「人は決まっていることが3つある。人生は一度きり、必ず死ぬ、いつ死ぬかはわからないということ。ロールモデルのないこれからの時代は、今できることをやるしかない。永遠に続く今を生きるのが人生で、全部うまくいくわけはないし予定通りいくわけもない。いかに正解のない問いを子どもたちと向き合い、子どもたちと学びのパートナーになるかということ。」
未来の社会をつくるのは、今この瞬間に「自分の人生を生き始めた子どもたち」なのだと改めて実感しました。
指導から支援へ
“ありのままを認める”という姿勢は、木村さんの話にも通じていました。
木村さんは言います。
「自主性は、与えられたゴールに向かって自ら動くこと。主体性は、自分でゴールを決めることから始まる。失敗してもやり直せばいい。それが成功体験になる」
その言葉の根底には、35万人を超える不登校、いじめ、年間500人以上にのぼる子どもの自死、教員の過重労働といった、日本特有の深刻な教育課題への問題意識があります。
「今、子どもたちは“ありのままで登校したい”“ありのままを認めてほしい”と願っている。だからこそ、指導から“支援”へと、教育の在り方を変える必要がある」と木村さんは語りました。
“くそばばあ”に込められた意味
忘れられないのは、かつて木村さんが校長を務めた大空小学校に在籍していた“Fさん”のエピソードです。木村さんのことを毎日のように「くそばばあ」と呼ぶFさん。ある日、木村さんが「ばばあは許すけど、くそはイヤ!」と言ったところ、Fさんはじっと彼女を見て、「ばあさん!」と呼んだそうです。これにはさすがの木村さんもショックを受け、職員室で同僚の先生に愚痴をこぼしたところ、「今すぐFさんに謝ってください」と逆に叱られたそうです。
自分がFさんの“ありのまま”を受け止めなかったことに気づいた木村さんは、「さっきはごめんね。やっぱり“くそばばあ”でいい!」と伝えに行きました。Fさんにとって、それが“ありのままの自分”でいられる学校であるための言葉だったのかもしれません。教育とは、こうした「本人をまるごと受け止める」営みなのだと、改めて考えさせられました。
「今までを否定するのではなく、“1秒先は未来”であることを忘れてはいけない。大人も子どもも、主体性と当事者性を持つことが必要」という木村さんの言葉が胸に残ります。
おわりに
学校と塾では異なる点がいくつもありますが、“子どもたちをサポートする”という根本のところは同じです。日々成長する子どもたち、今という時代を生きる子どもたちが、自分なりのゴールに向かって自分で戦略を立てられるよう、一人ひとりが自分らしく生きられるよう、私たち大人も、主体性や当事者性を持って子どもたちを支え続けることが必要だと強く感じました。